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  • 2018.03.29

マキシマムザホルモンのメンバープロフィールをご紹介!年表で活動記録をイッキ見しちゃおう!

「ロッキンポ殺し」「ぶっ生き返す」など、奇抜な曲名、曲調やジャケットデザインで多くの若者達から人気を集めるロックバンド「マキシマムザホルモン」。今回はマキシマムザホルモンのメンバープロフィールを始め、現在活動20週年を迎える彼らの歩みを年表でおさらいしてみよう。

マキシマムザホルモンのメンバー紹介!【誕生日/年齢/出身地など】

【歌と6元と弟】マキシマムザ亮君

本名 川北 亮(かわきた りょう)

生年月日 1978年12月13日(射手座)

年齢 39歳(2018年3月現在)

血液型 O型

出身地 神奈川県

こんななりではあるがマキシマムザホルモンのブレイン的存在。マキシマムザホルモンのほぼすべての楽曲の作詞作曲を彼が担当している。

モップのような髪型、そしていつもVICというブランド(?)の便所サンダルを履いているのが特徴。名前は「亮君」までが名前であり「暴君」的な意味を表しているため、もしも彼の名前を呼ぶ時に「亮君!」と言ってしまうと呼び捨てで呼ぶことになってしまう。彼の名前を呼ぶときは敬意を込めて「亮君君」と呼ぶと良いと言われている。

ガッシリとした肥満体も彼の特徴のひとつだったが、2015年に生活習慣病を患ったことにより激痩せし、もはや別人なのではという姿に変貌してしまった。

既婚者で現在3人の子供がいる。

【キャーキャーうるさい方】ダイスケはん

本名 津田 大輔(つだ だいすけ)

生年月日 1977年9月13日(乙女座)

年齢 40歳(2018年3月現在)

血液型 A型

出身地 香川県

マキシマムザホルモンのデスボイス担当。恐らく、日本で一番有名なデスボイスの持ち主であると言えよう。しかし、喉を酷使しすぎたせいか2008年に声帯に嚢胞ができてしまい一度摘出手術を行っている。

因みに、彼の卒業大学は創価大学なのだが、学会員でないことが明かされている。

その証拠として彼は創価学会から

・大学名をプロフィールに載せないで欲しい

・創価大学ではライブをしないで欲しい

・金輪際大学へ出入りしないで欲しい

と、創価学会と関わることを一切禁じられていることから。

2014年6月に結婚し、マキシマムザホルモンで一番最後に結婚した方を自称している。

【4弦】上ちゃん

本名 上原 太(うえはら ふとし)

生年月日 1980年4月15日(牡羊座)

年齢 37歳(2018年3月現在)

血液型 A型

出身地 東京都

本名に「太」という字が入っているのにも関わらずメンバー内で一番細身、というかガリガリの上ちゃん。レッド・ホット・チリ・ペッパーズの大ファンであり、彼の身体に刻まれているタトゥーはレッチリの全メンバーが入れているものと同じ柄のもので「一人レッチリ」とも言われている。

他にはガネーシャやトライバル模様など、全身に様々なジャンル・柄のタトゥーが彫られている。

既婚者で3児の父親。似合わないが、介護福祉士の資格を保有している。

【ドラムと女声と姉】ナヲ

本名 熊本 奈緒(くまもと なお)

生年月日 1975年12月16日(射手座)

年齢 42歳(2018年3月現在)

血液型 A型

出身地 神奈川県

亮君の姉であり、マキシマムザホルモン最年長メンバー。唯一の女性だがパワフルなドラム演奏は男性に引けを取らず多くのファンから支持されている。

トーク力に長けており、MCやメディア露出などは主にナヲとダイスケはんが行っているそうだ。
2008年に入籍。2010年に第一子を出産した。2015年には第二子を妊娠したが8週目で流産してしまった。翌年9月に女の子を出産し、2児の母親としても奮闘中。

マキシマムザホルモン活動年表

結成からメジャーデビューまで

1998年~2000年 マキシマムザホルモン結成。結成当時のメンバーには亮くんと上ちゃんはおらず、ナヲ・ダイスケはん・SUGI・KEYの4名でインディーズレーベルと契約を結び関東を中心に活動していた。

当時はダイスケはんが主に作詞作曲をしていたため、現在のホルモンとは全く違った曲調だったことが有名である(当時発売されたアルバム「A.S.A. Crew」は現在廃盤となっている)。
後にSUGI・KEIが脱退、亮君と上ちゃんが入れ替わりで加入し、現在のメンバー構成となった。

2002年~2004年 「肉コップ」を現所属事務所であるミミジカルから発表。同年秋にはギャグ漫画家である「漫☆画太郎」氏がジャケットラストを担当したアルバム「耳噛じる」をリリース。ここからじわじわと一般層にも知られるロックバンドとして話題になり始める。

そして2004年、3枚目となるフルアルバム「糞盤」をリリースした後にメジャーレーベルVAPと契約し、メジャーデビューを果たす。

メジャーデビューからアメリカツアーまで

2004年~2005年 メジャーデビュー後初のアルバム「ロッキンポ殺し」をリリースし、その後行った「ロッキンポ殺しツアー」では全国47都道府県全てを制覇。TVなどのメディアにも大きく取り上げられるようになる。2005年に発売したDVD「Debu Vs Debu〜デブ対デブ〜」はオリコン3位という驚異の売上を達成した。

2005年~2008年 ラジオ番組がスタート、アニメのテーマソングへの楽曲起用、発売されるシングルの多くがオリコンチャート10位以内を記録するなど、人気は足好調に。特に2007年3月14日に発売された「ぶっ生き返す」は累計売上枚数が40万枚以上に登るロングセラー作となった。

2008年には初のアメリカツアーへ。
同年10月27日からはイギリス・ドイツ・フランス・スペインと「EYRO TOUR」を開催。海外でも話題を集める存在となった。

更に同年、ダイスケはんの喉に嚢胞ができたことで、手術・リハビリのため3ヶ月間のライブ活動休止を発表。12月にはナヲが入籍するなど、2008年はホルモンにとって色々と慌ただしい1年となった。

現在まで

2009年~現在

2009年11月、ナヲが妊娠を発表。当時決まっていたライブは全て出演したいと言う彼女の意向で活動を継続していたが、切迫流産によりその後のライブ活動はしばらく活動を自粛することに(2010年に出産。後に復帰した)。

2011年、メジャーデビューから6枚目のシングルである「グレイテスト・ザ・ヒッツ 2011〜2011」をリリースし、初のオリコンチャート初登場1位を記録した。また、2013年7月に発売した6年ぶりのアルバム「予襲復讐」もオリコンチャート3週連続1位を獲得するなど、メンバーが結婚・出産などプライベートでの生活が忙しくなりながらも昔と変わらず、未だパワフルでラウドネスな活動を続けている。

2014年、膣ジャンプを解禁。

2017年、初の南米ツアーを開始。チケットは現地ファンのみで全てソールドアウトし、すべての公演を大成功で幕を閉じた。

そして2018年7月に、福岡で行われる「UMBERSHOT 2018」に出演が決定。現在も尚多くの若者のハートを揺らし続けるマキシマムザホルモン。メンバー全員が既にアラフォーだが、これからもさらなる活躍に期待ができそうである。