現在、日本YouTuber界のトップクリエイターとして名高いヒカキン。
しかし、彼にも昔は長い下積み時代があったことを皆さんはご存じだろうか?
今回は、ヒカキンの初めての動画・初期の頃に投稿した動画や、炎上回避(?)のために削除してしまった動画、そして同じくトップクリエイターであるはじめしゃちょーのYouTubeデビュー当初の動画などとも比較をしてみよう!
ヒカキンの初期動画はどんな感じ?消した動画の内容は??
では、まずはじめにヒカキンが初めて投稿した動画や初期に投稿していた動画について確認してみよう。
ヒカキン 初めての動画はビートボックス(ボイスパーカッション)だった!
ヒカキンがYouTubeデビューし、初めて投稿した動画については以前動画でも本人が紹介をしていたため、ご存じの方も多いことだろう。
ヒカキンといえば、最近は披露することは少なくなってしまったがヒューマンビートボックス(ボイパ)で人気を集めたYouTuber。
初めて投稿した動画も、もちろんビートボックスだった。
現在と比べ動画の画質は悪く安っぽい雰囲気がとても印象的。
しかし、何よりも気になるのがヒカキンの若さである。
現在のヒカキンよりも髪が長め、そして眉毛が細く今よりも少々キツめな「どこにでもいる若者」といった感じだ。
初期の頃のヒカキンはカッコいい!
出典:YouTube.com
更に当時は、現在のトレードマークである眼鏡はかけておらず、コンタクトレンズを使用していたヒカキン。
また、髪型にこだわっていたり今よりもカラフルな服を着ていることが多かったことから、現在と比べかなりオシャレでカッコいい印象も強かった。
※眼鏡をかけ始めたのは2013年頃から。眼鏡をかけるようになった理由はこちら↓
ヒカキンのYouTubeデビューは10代だった!
それもその筈、こちらの動画が投稿されたのは現在(2018年)より11年も前である2007年9月24日。
つまり、あの動画はヒカキンがまだ18歳(高校3年)のときに撮影されたものなのだ。
当時はまだマイクなどの特殊な機材を持っておらず、自宅にあったハンディカムを片手に音がよく響くようお風呂場で撮影をしたと語るヒカキン。
因みに、2015年に全く同じ環境で撮影した動画がこちら↓
18歳の頃よりも顔が一回り大きくなり、以前よりも貫禄のある印象だ。
炎上・やばい内容で消した動画も多数?どんな内容だった!?
YouTubeで活動を始めてから11年動画投稿を続けてきたヒカキン。
もちろん、中にはヒカキン的には少々アウトな内容の動画も少なからず存在する。
ここでは、ヒカキンが過去に消してしまった炎上動画やヤバい(?)内容の動画についてご紹介していこう。
目から牛乳を出す動画!?
2015年2月「鼻から牛乳を入れ、目から噴射する」という内容の動画を投稿したヒカキン。
動画開始時に閲覧注意の警告があったものの「気持ち悪い」「不快」などのクレームが大量に寄せられ削除されることとなった。
気になる動画のスクリーンショットがこちら↓
出典:http://matomenewsxx.com
ネタが無かったのかもしれないが、確かにこれはヒカキンが挑戦するには少々まずい内容かもしれない・・・。
炎上で削除された動画も?
他にも、普通のYouTuberならばそこまで炎上するような内容ではない動画も「イメージの良いヒカキンだからこそ」炎上してしまい、削除された動画も数件ある。
ひとつは「目の錯覚でドレスの色が違う色に見える動画」。
情報の発信源からの、画像の無断転載が原因で画像投稿者がヒカキンに抗議し、炎上騒動にまで発展。
本人が直接謝罪をした後、動画は削除されることとなった。
もうひとつはこちら↓
壁が光るというオシャレなインテリアを購入したヒカキン。
早速壁にペタペタと貼り付け、こちらの動画では「めっちゃきれい!」と大絶賛していたのだが、ライトを剥がす際に壁紙まで一緒に剥がれてしまい、後にその事に関する愚痴動画を投稿した。
しかし、視聴者からは「ヒカキンが悪い」「こんなことで騒ぐなんて・・・」とヒカキンを非難するコメントが殺到。
すぐに動画は削除されることとなった。
他にも削除されている動画は何件か存在するが、どの動画もそんなに過激な内容だったりスキャンダラスな内容の動画ではなく、あくまでヒカキンの勘違いや早とちりで視聴者から誤解を生んでしまったというものばかり。
そのため、炎上したとしても基本は尾を引くことなくすぐに鎮火されることが殆ど。
これも、ヒカキンの普段の行いの良さや誠実な人柄があってこそだと言えるだろう。
最新の削除動画についてはこちらを参考にしていただきたい↓
初期動画・ホームページから読み解くヒカキンの人生
出典:https://lineblog.me/hikakin/
では、気を取り直してここからはヒカキンの活動初期の頃の動画やブログを見ながら、ヒカキンがどの様にしてトップYouTuberの座を手にしたのかを見ていくことにしよう。
人生の岐路はビートボックスのために上京したことだった!
ヒカキンは新潟県の田舎出身。
有名なビートボクサーになることを目指して、高校卒業と同時に数多くの人気ビートボクサーが集中する東京へと上京した。
上京したのは2007年で、2008年からは自身の活動の記録を動画・ブログにて公開を開始することに。
もし、ここでヒカキンが上京してなければビートボクサーは目指さず、普通に会社員として生活していたことが予想される。
そうなると、ビートボクサーとしての知名度を上げる必要もなかったため、恐らくYouTubeに動画を投稿することもなかっただろう。
もし、ヒカキンがビートボクサーを目指さなかったのならば、現在のヒカキンは存在しなかったのだ。
上京初期 最初は全く人気がなかった??
最初にもご紹介したが、動画投稿を始めたばかりのヒカキンの動画は、殆どがビートボックスを披露する動画だった。
当時、YouTubeはこういった個人が出演している動画は全く存在せず、多くは違法アップロードのアニメ・テレビ番組などの視聴を目的として利用しているユーザーがほとんどだったため、ヒカキンの日本での知名度はほぼゼロに近い状態と言っても過言ではなかった。
初めて投稿した動画が3万再生を突破したのは投稿日より1年近く後。
この数年後、その100倍の動画再生数を獲得できるスーパースターになるなんて、本人も全く予想はしていなかっただろう。
上京後 会社員時代は苦労の連続?
※まだYouTubeで収益を得ていなかった頃のヒカキン。DAICHIとは当時から親交があった
ヒカキンは、専業YouTuberとして活動をするまでは、YouTube活動の傍ら都内のスーパーで正社員として働いていた時期もあった。
もちろん、最初からビクトリーロードに立てる成功者はいない。
と、言うよりも辛い下積みや大きな失敗を経験した人でなければ、成功者になどなりえないのだ。
もちろんヒカキンも最初から成功の連続ではなく、思ったようにことが進まず、悩んだり苦労したことも多かった模様。
基本は明るい内容の多いブログの中でも、時には弱音を吐くこともあったようだ。
極貧?ヒカキンの節約生活
そして、動画のために機材や環境を整えるためにお金を多く使っていたため、会社員時代はサラダ一つ買うことについても悩むほどの節約生活を送っていたようだ。(食事内容は現在も質素なままだが・・・)
ヒカキンは、パソコンやマイクなどの機材については、当時から「自分が買うことのできる限界の値段のものを購入する」という決めごとがあったことから、あまりお金を私生活のために贅沢に使うということはなかったのだろう。
ヒカキン人気の始まりはこの動画!
そして、ヒカキンが動画活動を開始して2年が経過した2010年6月17日、皆さんもご存じの『Super Mario Beatbox』の動画が大ヒットし、日本・世界中に「HIKAKIN」という名前が知れ渡ることとなった。
しかし、当時のヒカキンの視聴者の多くはアメリカ人であり、日本でヒカキンが有名なYouTuberになるのはもう少し後のお話。
更に、視聴者層は現在よりも少々上の20代後半から30代前半が多かったそうだ(HIKAKIN OFFICIAL BLOG『アクセス解析』より)。
新チャンネル『HikakinTV』を開設!
出典:YouTube.com
マリオの動画がヒットした約1年後の7月19日、ビートボックスではなく『ビデオブログ』と称したエンターテインメント用のチャンネルである現在のメインチャンネル『HikakinTV』を開設。
ここから、商品レビューややってみた、雑談動画などの現在の動画スタイルへ徐々にシフトチェンジされていくこととなった。
↑こちらがHikakinTVに投稿した初めての動画。
まだまだ視聴者層は外国人が多かったため、タイトルや動画に英語が使われることが多かった。
チャンネル開設当時、ブログでは「できるだけ頻繁に更新していきます」と、サブチャンネル的な扱いだったHikakinTV。
まさか、この時現在のような人気チャンネルに成長することを誰しもが全く予想していなかっただろう。
動画内容は現在よりもかなりゆるく、現在商品紹介の際に流れる「イエーイ!」という効果音や「とーろくとーろくとーろくー♪」などの音楽は一切使用されていない、今で言う「底辺YouTuber」のような動画を多く投稿していた。
しかし、当時はこのような商品レビュー動画はヒカキンしか行っておらず、斬新な動画として徐々に人気を集めていくこととなった。
現在 人気YouTuberへ
その後、動画で紹介するグッズ・食べ物等がどんどん子供向けの商品へと代わっていくに連れ、視聴者・登録者数が激増。
2012年頃から視聴数が増え始め、バラツキはあったもののヒットした動画については100万再生を超える視聴数を獲得できる程の人気YouTuberへと成長した。
出典:出典:HIKAKIN OFFICIAL BLOG
その後は、皆さんもご存じの現在のイベントやTV、企業案件などに引っ張りだこの活動となったため、マメに更新していたブログも月に2回ほどしか投稿できない程多忙な生活となったのだった。
最初は有名なビートボクサーになることが夢だったヒカキン。
現在は当初の夢とは全く違う仕事になってしまったが、現在日本で『有名ビートボクサーと言えば?』という質問に対して大半が『ヒカキン』と答えられる程の知名度へ。
当初の夢とはベクトルは少々違うものの、彼の夢は見事成就することとなったのだった。
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