遊楽舎の店長をご存知でしょうか。人気YouTuberヒカルの動画で、名物出演者となり、現在では『遊楽舎ちゃんねる』というYouTubeアカウントで活躍しています。7月に秋葉原でオープンした遊楽舎ヒカル店と、姫路にある本店を行き来しながらYouTube撮影を行っているというアグレッシブな店長にお時間をいただいてインタビューしてきました。遊楽舎の歴史から、ヒカルとの馴れ初め、遊楽舎ヒカル店の見所まで、たっぷりとお伺いしてきました!
店長に聞く遊楽舎が始まったきっかけと歴史
店長 本名初出し時はヒカルと喧嘩に
――ではまず初めに遊楽舎様と、店長さんについてお伺いできればと思います。遊楽舎様について、また店長さんの基本的なプロフィールについてお伺いできればと思います。
遊楽舎 店長(以下 店長):プロフィール…そんなん知りたいか(笑)誰に需要があんねん(笑)
――(笑)では、本名から教えていただけますか?
店長:あー、ぶっちゃけて言うとa-nationのところにも「店長(筧 久明)」って載ってるんです。
――前から本名は公開されてましたか?
店長:そうですねー。昔、ヒカル君の動画に出てるだけで僕がまだYouTube始めて無かった頃に、何の動画か忘れたんですけれども、”捕まる”みたいな感じのサムネを作られたことがあるんです。
で、その時に「筧 久明」って本名が載っとったから、その時は「もう僕ヒカル君の動画出ない」っていうて(笑)
ちょっと2人と喧嘩したことがあるんですけれども。
今はそれ(動画のサムネ)を見たら「店長」って書いてありましたんで(笑)
修正させてくれっていうて(笑)
――時すでに遅し、ですよね(笑)
店長:そうですね。で、今回a-nationの出演者のところに本名が載ってしまったんで
「あーまあまあまあ、もう今更ええかな」
みたいなところありますけど(笑)
遊楽舎 店長の夢は「ゲームセンターを開く」ことだった
――では次に、遊楽舎さまの歴史についてお伺いできればと思います。
店長さんが遊楽舎様を開業される以前は、何をされていたんでしょうか?
店長:僕はずっと学生の頃からゲームセンターで働いてたんで。元々遊楽舎も「ゲームセンター開きたい」って始めたんです。
ただ、僕が「じゃあここに店持とか~」って思ったあのお店の土地が、風俗営業法の認可が下りない土地だったんです。
当時は「風俗営業法8号」っていうのがゲームセンターの認可商売になってたんですけれども、「基本認可は下りないよ」って言われた土地なんです。
ただし、抜け道じゃないけれども、ちょっと決まりがあって。「特定の公道から50m圏内は風営出してもいい」っていうのがあったんです。
で、あのお店が、道路側の手前部分は認可が出るけれども、それより向こう側は出ない。特定の公道に入ってたらその建物の奥は全部行けるんだね、っていうわけではなくて、あくまで外のエリアでバスッと切られる、と。
遊楽舎がトレカ店とゲームセンターのハイブリッドになったわけ
店長:そして、あそこの物件がワンフロア借り切りだったんで、結局のところ使わんと勿体ないから「じゃあ他になんかできるような事ないかしら」て調べてて。
最初「マンガ喫茶?いや、でも僕が入ったこのテナントって昔マンガ喫茶やった」と。
だから僕がいつも座ってるあのレジカウンターも実はマンガ喫茶のカウンターそのまま使ってて。
だからマンガ喫茶やったと、で、マンガ喫茶が結局ダメになったなら、マンガ喫茶はナンセンスやろと。
じゃあ他にゲーセンと相性の良さそうなもんなんかあんの?ってネットで調べよったら、「トレーディングカードショップ始めませんか?」って。
「カードショップ?そうか、データカードダスとかムシキングとかも結構触れてるから…うん、これでいっか」って。
で、「フランチャイズに入りませんか?」っていう契約があって、それで、じゃあいいよ入るよみたいな。
で、フランチャイズに入ったときに「遊戯王が売れるようになってくれ」と言われまして。その時僕が言った言葉が「え、遊戯王ってまだ需要あるんですか」なんですよ(笑)
当時の僕はなんでトレーディングカードショップを始めたかっていうたら、ゲーセン歴は長かったんで、データカードダスとか戦国大戦とか。
アーケードカードゲームがあったんで、あーいうのでやるんかなって思ってたら、実際そうじゃなくて、テーブルの上で遊ぶ「TCG」って言われているものが主に扱う商品だったんですよ。
遊楽舎 ゲームセンターとトレカ店 オープン当初はどっちつかずで苦労の日々も
遊楽舎 オープンすぐは「どっちつかず」で苦戦
店長:で、オープンした当時の僕は言うてもお金がなかったんですよ。自己資金500万くらいでスタートしたんですけれども。
僕の場合はゲームセンターやりたいって言ったんで、そっちの方にも割とお金が取られちゃったもんですから、圧倒的に資金が足りないくなってしまいました。
だから、当時あった姫路のカードショップの中ではかなり下位で。ゲームセンターとしては、あまりにショボすぎて本当にゲームセンターか?って言われるような、かなりどっちつかずのお店だったんですよね。
苦戦時代乗り越えられたのは「両親のおかげ」
――でも結構長く続いてらっしゃいますよね。
店長:続けられた理由っていうのが、1番は「僕が結婚してなかったから」っていうのもあると思います。
当時もええ年してましたし、普通やったらばもう結婚しとって子供もおっても不思議ではない年齢でしたけども、僕自身が結婚してなくて。
一応実家の方では…僕2人姉弟で姉はもう結婚して出ていってたんですけど、親もまだ元気ですし、父親が働いてたからまあええよみたいなところはあったんですよね。
僕の生活の面倒っていうのを、結局両親が何年かやってくれてたんで、あれはもう本当に両親のおかげですよ。あれがなかったら本当に無理でしたし。
遊楽舎 店名は横文字だった世界線も!?由来は母の閃き
――では次は遊楽舎様の名前の由来について、お伺いしたいと思います。
店長:実はですね、最初「遊楽舎」っていう名前にしようとは思わなかったんですよ。
うん。元々ゲームセンターがやりたかったから、ゲームセンターっぽい名前がいいなと思ってたんで。カタカナの…もうなんていう名前か忘れちゃいましたね(笑)
なんかね、コンティニュー(Continue)にひっかけたような、語呂合わせしたような名前やったと思うんですよ。
そういう名前で店をやろうとしとったんですけれども、まあ…当時相談相手って親くらいしかいなかったんで、母親の方に聞いてみたんですよ「こういう名前にしようと思うねん」って。
実はその名前で古物の認可も1回取ったんです。
「これで行こうと思うねん」って、半分事後報告ですよね。
そうしたら、うちの母親が開口一番に「アカン!」って言うたんですよ(笑)
「え、だめ?」って聞いたら「うん、言いにくい」って言われて「それやったらどんな名前がいい?」って言ったら、「ん~、遊びのお店やったら遊ぶっていうんちゃうん」「あー、なるほど漢字の字でいくのね」「そうそう、そっちの方が言いやすいやろ」「まあそうかもしれん、日本やから」って。
それで「楽しみやったら”遊楽”じゃない?で、最後”社”にしたらええやんか」ってなって「じゃあ”社”の字は会社の社じゃなくて校舎の舎にする?」いうたら「あーそれでいいんちゃう?」って決まったのが遊楽舎なんです。
だからうちのおかんの鶴の一声なんです。
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