”少年院アイドル”として話題になった、元ZOC所属の「戦慄かなの」。
彼女が少年院に入ることになった理由はもちろん、学校でのいじめや家庭内暴力・虐待を受けてきた壮絶な半生などをまとめていこう。
戦慄かなの プロフィールを紹介!本名は非公開?大学に通っている?
”少年院アイドル” 戦慄かなの(せんりつかなの)のプロフィール
名前 | 戦慄 かなの(せんりつ かなの) |
本名 | 非公開 |
生年月日 | 1998年9月8日 |
年齢 | 21歳(2020年7月時点) |
血液型 | B型 |
出身地 | 大阪府 |
身長 | 154㎝ |
スリーサイズ | B-78/W-60/H-83 |
職業 | 地下アイドル |
戦慄かなの 本名は?立ち上げたNPO法人の代表者氏名に記載されている?
2020年7月現在、戦慄かなのの本名は公式的には非公開となっている。
しかし、彼女が立ち上げた、育児放棄や児童虐待された子どもたちをサポートするNPO法人「bae(ベイ)」が内閣府のホームページや東京都生活文化局のページに記載されており、そこに代表者の氏名として「川崎佳奈乃(戦慄かなの)」と表記されているため、この「川崎佳奈乃」が本名なのだろう。
►「bae」掲載ページはコチラ:bae|内閣府NPOホームページ
少年院アイドル 戦慄かなのは有名私立大学の法学部に通っている大学生?
戦慄かなのは少年院出所後、事務員として働いていた時代(※詳細は後述)に働きながら大学受験を行い、とある有名私立大学の法学部に通っているとの情報がある。
戦慄かなのが通う大学名については2020年7月現在も明かされていないものの
・誰もが知っているかなり有名な大学
・私立でもセンター試験が受けられる
といった旨の発言を本人が過去にしており、この情報から東京の有名私立大学である「早稲田大学」なのではないかという推測もあるが、明確な目撃情報などは今のところ存在しない。
ちなみに大学では、身バレ防止の為ひっそりとしたキャンパスライフを送っているようだ。
戦慄かなのが少年院に入るまでの壮絶な半生とは
戦慄かなのの生い立ちとは?母親の育児放棄や家庭内暴力・両親の離婚
1998年に大阪府で生まれた戦慄かなのの家庭環境は、とても複雑なものだった。
育児放棄(ネグレクト)をする母親のもとで育ち、母親が父親に暴力を振るう光景も見てきたかなの。
優しかった父親は、かなのが小学校に入学した頃に離婚し家を出ており、かなのは両親の離婚により東京に移住。母親と1歳年下の妹と3人暮らしをすることになった。
小学校に入学後も母親の育児放棄は変わらず、1週間ほど家に子供を放置したまま、恋人の元へ行くなどの行動が日常茶飯事に。加えて、父親と離婚した後の母親は家庭内暴力も激しくなったようだ。
この両親の離婚や幼少期からの虐待があり、小学4年生から現在までに自律神経失調症やパニック障害なども患っている。
戦慄かなの 母親からの虐待・学校でのいじめから非行の道へ
母親の育児放棄・虐待により「何日もご飯を与えてもらえない」といったことだけでなく、歯を磨いたりお風呂に入ったりするような”子どもが一般的に家庭で教わる日常的なこと”を教わらなかったかなのは、不潔さなどを理由に学校でいじめられてしまう。
小学校から中学校に上がってもなお、学校でのいじめはおさまらず、その辛さに耐えきれなくなり、中学2年生の頃に学校の3階にあった美術室から飛び降り自殺未遂をする。
その時は幸いにも骨折で済んだが、こういったいじめ・家庭環境から中学生の頃には家に帰らない日も多くなり、高校生になると繁華街などを徘徊するように。
そこで良くないグループとの関わりが増えていき、当時金銭への執着もあったかなのは、どんどん非行の道へはしってしまったのだ。
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